「博士の愛した数式」
「博士の愛した数式」
小川 洋子 著
今日の気温は10度。3月にしては少し寒いが、天気が良く少しづつ春を感じてきた。
けれど、新型コロナウイルスが依然として猛威を振るっており美術館などは軒並み閉館。天気のいい日に上野へ行こうにも・・・なんとも外出しがたいので家で本を読むことが多い毎日だ。そんな時期に手に取ったのがこの本だった。
「博士の愛した数式」
まずタイトルで心惹かれた。本を手に取るときタイトルや表紙の美しさをきっかけにするのだが、ほぼ直感であって明確な理由はない。この点について明記できないのは少し申し訳ないとも思う・・・
極めて文系的な本の選び方をしたのだけど、私はこの本を通して理系の核心である数学に対するイメージがとっつきやすいものに、親しみの感じられる存在に変わった。このことがすごく嬉しかった。それはこの本に出てくる数学者が、数字や数式に対して共感覚をもって向き合っていたことに強く影響されたからだと思う。素数や公式、虚数iやルートなど、学校で数学を学ぶ上で多少なり苦い思いをしてきた数字たちに、博士は美しさを感じていた。読む本を直感で選ぶ私にも共感できるような、感覚的な美しさをもって博士は数字と向き合っていたのである。
例として、友愛数だ。220、284、このふたつの数字に対して私は今まで、お互いに偶数だ。という程度の印象しか持てなかった。しかしお互いの公約数を足すと・・・
220:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
220=142+71+4+2+1:284
上記のような関係性を持つ。博士はこのような数字の秘密の関係性に、愛を感じていた。数字に心を持たせ、心でそれを受け止めていた。
なんて文学的だろうか。
そう思った。数字に対して文学的感情をもって接する。美しさを感じる。無機質で私を苦しめた数学が心をもった瞬間だった。
私が高校生の時、数学の先生が授業中にフィボナッチ数列をみて「なんて美しいのだろう・・・」と呟いた。理由がわからずずっとこのつぶやきが記憶に残っていたのだけど、今なら理解できそうだ。数字たちが持つ秘密の関係性に美しさを感じていたのだろう。
永遠ともいえる数字の海を見つめ、調和のとれた鱗の、様々な模様の魚を眺める。そんな水族館のような楽しさを私は数学に対して感じるようになった。苦い思い出が海をどんよりと濁らせていたけれど、透き通って見えるようになったのはこの本のおかげだ。