「ジヴェルニーの食卓」
「ジヴェルニーの食卓」
原田マハ 著
慌ただしい四月。変化の時期。特に今年はイレギュラーが多く苦労する。
ようやく、少しづつ本を読む習慣を取り戻しつつあって「ジヴェルニーの食卓」を読み切ることができた。毎晩ベッドに入る前、読書灯だけを付けた部屋で本を読むなんとも素敵な時間・・・中学生くらいのころから、自分にとって夜は少し特別な時間帯だった。時計なんて見なければ夜は永遠で、静けさと癒しを感じることができる。
ジヴェルニーの食卓はそんなゆったりとした時間に読むにはぴったりな本だった。印象派の画家を題材とした短編四作品、原田マハのかく文章は淡い色彩を感じるきれいなもので、輝きの強い情景が目に浮かぶ。特に好きなのはモネにフォーカスした第四章。モネが見る情景、求めた情景を感じることができた。ジヴェルニーの、モネの邸宅の、モネが夢見てモネが作り上げた・・・「庭」。色彩豊かな・・・「食卓」。様々な色がありながらそれでいて調和のとれた印象派の世界。それが第四章にはあった。
わたしはよく晴れた暖かい日には美術館に出かけたくなる。空間を大事にしていて、陽ざしをつかって明かりをとったり、緑も多くあって、自分がいま居るこの場所自体がとても輝いて見えるからだ。カフェを併設している場合も多く、そこで過ごす時間はとても幸せ。陽だまりの中、時間が進むにつれて影が移動して、陽ざしの色も白から橙色へと移り変わってゆく。印象派の画家たちもこんな感じで日々の情景に幸せを感じていたのだろうか。そんなことは本人に聞いてみないとわからないけど、淡い色彩のかがやいた空間にいるときに感じるなんとも言えない感情は、印象派の絵を見ているときに感じることができている。
印象派の画家が見た景色、求めたもの、その情熱や願いを文章という形で知ることができ、とても良い時間を過ごすことができた。いい本だった。
わたしは印象派が好きだわ
「博士の愛した数式」
「博士の愛した数式」
小川 洋子 著
今日の気温は10度。3月にしては少し寒いが、天気が良く少しづつ春を感じてきた。
けれど、新型コロナウイルスが依然として猛威を振るっており美術館などは軒並み閉館。天気のいい日に上野へ行こうにも・・・なんとも外出しがたいので家で本を読むことが多い毎日だ。そんな時期に手に取ったのがこの本だった。
「博士の愛した数式」
まずタイトルで心惹かれた。本を手に取るときタイトルや表紙の美しさをきっかけにするのだが、ほぼ直感であって明確な理由はない。この点について明記できないのは少し申し訳ないとも思う・・・
極めて文系的な本の選び方をしたのだけど、私はこの本を通して理系の核心である数学に対するイメージがとっつきやすいものに、親しみの感じられる存在に変わった。このことがすごく嬉しかった。それはこの本に出てくる数学者が、数字や数式に対して共感覚をもって向き合っていたことに強く影響されたからだと思う。素数や公式、虚数iやルートなど、学校で数学を学ぶ上で多少なり苦い思いをしてきた数字たちに、博士は美しさを感じていた。読む本を直感で選ぶ私にも共感できるような、感覚的な美しさをもって博士は数字と向き合っていたのである。
例として、友愛数だ。220、284、このふたつの数字に対して私は今まで、お互いに偶数だ。という程度の印象しか持てなかった。しかしお互いの公約数を足すと・・・
220:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284
220=142+71+4+2+1:284
上記のような関係性を持つ。博士はこのような数字の秘密の関係性に、愛を感じていた。数字に心を持たせ、心でそれを受け止めていた。
なんて文学的だろうか。
そう思った。数字に対して文学的感情をもって接する。美しさを感じる。無機質で私を苦しめた数学が心をもった瞬間だった。
私が高校生の時、数学の先生が授業中にフィボナッチ数列をみて「なんて美しいのだろう・・・」と呟いた。理由がわからずずっとこのつぶやきが記憶に残っていたのだけど、今なら理解できそうだ。数字たちが持つ秘密の関係性に美しさを感じていたのだろう。
永遠ともいえる数字の海を見つめ、調和のとれた鱗の、様々な模様の魚を眺める。そんな水族館のような楽しさを私は数学に対して感じるようになった。苦い思い出が海をどんよりと濁らせていたけれど、透き通って見えるようになったのはこの本のおかげだ。
「サードドア 精神資産の増やし方」
「サードドア 精神資産の増やし方」
アレックス・バナヤン 著
大田黒 奉之 訳
ずっとずっと気になっていた話題書。東洋経済オンラインでひろゆき氏が取材を受けていたことをきっかけ。以下にリンクしておく。
完全にフィーリングだけど、話題書に気に入ったものがあると飛びついてしまう。多くの人が注目する理由とはいったいなんなのか…
本書は、生きていくうえで大事なものはなにか。それは、誰もが知らない方法でみんなを出し抜くこと、秘密の抜け道をみつけることだ。これをサードドアと言い換えて、自身の体験を例にして重要さを伝えていくという内容だ。伝記に近い。ビジネス書というよりは、文章がストーリー構成となっているので小説に近い感覚で読むことができた。教科書ぽくなくてイイ。
著者の目的である、著名人にインタビューをし成功の秘訣を聞こう!というアイディア。このアイディア自体すごく魅力的なのだが、この本の魅力はこれではない。我々に一筋の希望を与えることがこの本の魅力だと感じた。
私がこの本を読み終えたとき頭に残っていたものは、サードドアとは行動力が生み出す抜け道だ。ということだったからだ。著者はこの本を出版するために非常に多くの行動を起こし、失敗と成功を収めている。しかしその大半は失敗だ。失敗して失敗して失敗している。失礼なこともたくさん。親の大反対も受けて、おばあちゃんとの約束も破っている。抜け道をみつけるまでに非常に多くの失敗をしているのである。でも挫けずに行動し続けた。その結果ビルゲイツと会い、またはレディーガガに影響を与えるという結果を残した。目標へ向かう行動、検証の数が桁違いだったために、著者はようやく、結果に辿り着くための抜け道を見つけたのである。
ストーリーの中で、同じ失敗を繰り返すこともある。それが実に人間臭い。時には元気も失う。メンタルが回復せず時間を無駄にすることもある。でも、それでも立ち上がり、あきらめずに目標に向かうことでこうして、本を出版している。
失敗を恐れるな。とは良く言うが…心折れずに検証を繰り返すのはかなりの精神力がいる。
著者は本当にすごい。
私はリスクを恐れがちだ。心配性で踏みとどまることも多い。それにより行動に移し失敗した時の精神的ダメージが大きいのだけど、どうやらそれではサードドアは見つけられないらしい。
行動、挑戦、このふたつは人生に機会を、選択肢をもたらす。そのなかにいくつか近道が存在し、それを積み重ねることが成功へつながっていると・・・失敗しても立ち上がれる範囲内で、すこしづつ挑戦してみてもいいかもしれない。そんな気分になれる本だった。
でも・・・
私は臆病だ。どーーーーしても一歩踏み出す足がうごかない。死ぬわけじゃない、そういわれても無理。リスクがどれほどのものか考えることをめんどくさがっている自分がいる。つらいのが嫌だから。心をずっとやすめていたいから。自分を安心させていたいから。行動の結果の良し悪しは別にして、この腰の重さは厄介だ。
せめて、臆病さに一石を投じるきっかけが、強い原動力となる目標がみつかるといいな。奥手ではあるけど、私は今そんな目標を探すために本を読んでいる。能動的になるためにはまず、受動的に影響されたい。わがままだけどね。
目標が見つかった時、もう一度この本を読んで勇気づけられたい。
「ファーストラヴ」
「ファーストラヴ」
島本理生 著
本の帯にすごく魅力的なあらすじが書いてあり、どうしても読みたくて買った本。
下記に引用しておく。
「動機はそちらで見つけてください」父親を殺した容疑で逮捕された女子大生、聖山環菜の挑発的な台詞が世間をにぎわせていた。臨床心理士の真壁由紀は、この事件を題材としたノンフィクションの執筆を依頼され、環菜やその周辺の人々との面会を重ねていくが・・・・・・。
普段は本をブックオフで200円で買い読むことが多いのだけど、「動機はそちらで見つけてください」という衝撃的な一言に惹かれてしまった。今まで見たことがなかった。
内容としては引用したあらすじの通りであり、ストーリーも非常に面白いのだが、私が注目したのは、
この作品は人の心の秘密、仕組みに触れるような作品だったこと。
例えば、経験から人格、性格、感情といった要素が形成されていく。といったものだ。その経験過程に深く踏み込んだ内容となっている。そのため、読んだ後に残る感情は、心理を考えさせられるような、重たいものだった。
人の表情に悩む人は少なくないと思う。なぜいつも笑顔なのか、なぜ笑わないのか、なぜ表情が顔に出やすいのか、などがあげられるが、その裏に潜む原因は必ずあるはずだ。それは、決して他人に話すことはない、絶対明かすことのない秘密。ある一例として、フィクションだが、その秘密が語られているため読み進めることで私自身もダメージを追うことになった。自分という存在が、自分の感情がどうして成り立っているのか、自分の経験がよみがえってきたからだ。だからこそ、じっくりと読めたかもしれない。前回の記事で書いた、村上春樹作品の没入感とは違う、人間と向き合う、向き合わされる没入感となっている。
著者自身の心のダメージも大きいのではないか。
そう思う程だ。でも、他人の秘密を知る、という経験や、それにより巻き起こる感情は私の心の幅を広げ、気遣いの幅を広げてくれた。
私の対人観念をかえるきっかけとなったことに感謝している。
「ノルウェイの森」
「ノルウェイの森」
村上春樹 著
たしか友達にお勧めされた本。村上春樹作品とはどんなものなのか・・・本好きなら読むべきなのか・・・様々な考えを巡らせながら、手に取った。
噂通り比喩が多い。村上春樹の知識量に追い付ける知識がなければ、伝わらないものも多いのではないか。と思う程だ。いや、でもわからなくても、物語の雰囲気は感じ取ることができるかもしれない。カフェでみた、名前も聞いたことのない雑誌の表紙がおしゃれだと感じるみたいに。文章にアイデンティティ性が強く、癖のある作品となっている。
特に、情景描写がすーーーーーーーごく細かい。
ゆっくりと、ひとつひとつ理解しながら読み進めると、頭の中に主人公が立つ場所、環境が肌で感じられる程に描かれる。情景を語る分、ストーリーの進行はゆっくりになる。でも、これがいい。これが好きだ。情景に没入しながら、特に意味もなく溶けていく時間の流れがこの本にはある。主人公が、ただぼーーーっと時間を溶かすシーンでは、私のリアルの時間もだいぶ過ぎ去ってしまった。
ストーリーが間延びするので、展開が曖昧に感じてくる。
現実としてはっきりしつつも、どこか靄がかかっている。
これが村上春樹ワールドか。と本の、勉学としてではなく、文学としての側面を、本の中でも、現実でも、多大なる時間をかけて知ることとなった。
本というのは、どうしても勉学的印象が強い。小説ひとつとってもそう。物語の主人公の人生を読むことで、経験を疑似体験できるものだ。また多様な日本語の語彙を読むことで知性ある発言力が養われる。起承転結が存在し、感情を揺さぶられるからこそ、心の育つものだと私は思っている。
しかし、ノルウェイの森は只ではすまない。非凡な本だ。
まず、JR中央線など、東京の情景描写があり我々が普段生きているノンフィクションな世界観に主人公がいるにも関わらず、リアリティがない。例えば、大学の寮で出会う個性の強力なキャラクターの存在。人里離れた自給自足の療養施設など、ありそうでない圧倒的なフィクションなのである。この非リアリティが、ノンフィクションの現実に、普通ではないんだよ。とガウスぼかしをかけていくのである。そんなストーリーは・・・起承転結を、疑似体験による経験を無かったものにしてしまうように感じる。こんなものは、ありえない。と。
これはまるで夢、不自然な現実をつなぎ合わせた夢。
ノルウェイの森を読み終えたときようやく目を覚ます。そして思う、これはなんだったのかと。
「夜は短し歩けよ乙女」
角川文庫
森見登美彦 著
映画化もされ、話題になっていたのでブックオフで見つけた際思わず手に取ってみた作品。些細な理由で読んだのだけど、自分の中で非常に印象が強く残っている。構成がユニークで、語彙が豊富だったからだ。理由は後述したい。
舞台は京都。雑多なのに調和のとれた表紙のイラストはこの本の特徴を正確にとらえていると、読み終わった後に気づかされた。
読み終わった後にこそ、表紙のイラストはいっそう輝いて見える。
奇想天外なファンタジーで、ストーリーはすごく複雑。非現実味も強い。なぜかというと、複数の主人公入れ替わりながら、「同じ時間軸」で、進行していく。だけど、主人公一人のストーリーを事細かに記憶していると、各主人公のストーリーの交差点がわかり、納得の連鎖が心地よい作品だった。
これ、グランドホテル方式、アンサンブルキャスト、群像劇、などというらしい。
複雑だけど、理解に苦しむ部分はなく、さらさらと読むことができた。
でも、私がこの本の一番好きな部分はグランドホテル方式ではない。
すごく、すごくすごくとてもとてもユーモアたっぷりなところだ。
こぶしに親指を隠してパンチするから、やさしさを込めたパンチになることがおともだちパンチというなんて初めて知った。クジラが海水を呑むようにお酒を飲むことを鯨飲というなんて初めて知った。読んでいく中で、すごく豊富でユーモアのある日本語遊びが形作る、輝いた世界観に引き込まれてしまう。
普段の何気ない会話にも、ユーモアたっぷりの日本語遊びができたらどんなに幸せだろうか・・・読んだらニヤニヤすること間違いなしだ。
「羊たちの沈黙」
「羊たちの沈黙」
トマス・ハリス 著、菊池 光 訳
ハニバル・レクター博士を知っている人は多いだろう。人喰いハニバル。その狂気性が興味を引く作品だ。しかし私は、頭のいい人の発想や言動に憧れがあり、優秀な頭脳を持つ人の思考を覗きたくてこの本を読むことにした。サイコパスで狂人ではあるが、この本に登場するハニバル・レクター博士はまさしく、非凡な頭脳とそれに伴う知性、思考の鋭さを感じられる人物だからだ。そんな博士だが、実はこの本の主人公ではない。
読み進めるとすぐに、博士の紳士的な魅力に引き込まれた。
人喰いハニバルという前情報を聞き、博士へ強力なレッテルを感じながら読み進めたのだが、初登場の博士からは襲い掛かってくる印象は感じず、紳士的な対応に驚かされる。そう、これこそが博士の魅力。礼儀正しい。主人公と、まずお互いの自己紹介から関係性が始まるのである。
頭のいい人はどうして落ち着いていて礼儀正しいのだろうか。私が人生で出会ってきた頭のいい人も、みんな落ち着きがある。知性も感じる。話をすれば豊富な語彙、知識で質量の高い話をしてくれて、そしてどこか雰囲気に不思議なものを感じる。IQの差が大きいと会話が成立しない。とは聞いたことがあるが、これが不思議さを生んでいるのだろうか。
読む限り、レクター博士は上記の最上級クラスだ。博士は、この頭のいい人の不思議さが魅力となって引き込まれるから面白い。
天才に憧れる人がいたら・・・読んでみてほしい作品だった。
この本は旧約だけど・・・直訳のような日本語が堅苦しい雰囲気を醸し出す。読みにくいけどスリルは強く感じられた。
ちなみに私が天才に憧れるようになったきっかけは、ホワイトカラーっていう海外ドラマだ。マット・ボマーが演じる天才詐欺師が最高にかっこいい。